いつも読ませていただいているブログ
http://ameblo.jp/universaledu/
に、「特別支援学級が危ない!」(10月14日)という記事がありました。
ふだん私が感じていることを、書いてくださって、「わが意を得たり!」という思いです。
こういうことがあちこちでどうしておこるのかな〜、と考えると、やはり「しくみ」に問題があるとしかいえません。
どういう仕組みかというと、特別支援学校・学級には、特別支援学校教諭免許がなくても教えられる
という特例措置が未だに続いている、というものです。
杉山登志郎先生は『発達障害の子どもたち』で、「知的障害の子どもが普通学級に投げ込まれているのは、周りの子にとってはメリットがあるが、本人にとってのメリットはない」ということを書いていますが、
同様に、「特免を持っていない先生が特別支援学級の担任になるメリットは先生の側にはあるが、子ども側にははたしてあるのだろうか?」という疑問が沸き起こってきます。
校長先生や教頭先生が、
昔話に「わたしも採用されて最初は養護学級だったんだよ。あのころ、とまどいながら、そこの子どもたちと格闘しながら自分も育った。そのときの経験がのちの普通学級の子どもがたちを教えるのにも役にたった。」といったことを話される先生が結構いらしゃいます。
そういうお話を聞かせていただくのは私も嫌いではないので、「それで?それで?」と聞かせていただくのですが、ふと思い立って「それじゃあ先生は、大学で特殊教育を学ばれていたのですね。」とお聞きすると、
「いや、全然。それまでは自分が障害児を受け持つなんて思いもしなかった。」ということがほとんどです。
うまくいかない壁にぶち当たって、試行錯誤することで、人間として磨かれていき、教師道の高みをめざすということは、先生ご自身にとってはすばらしい経験だったと思います。
そんな経験をしてきた先生に、後に教えられることになる普通学級の子どもたちも、幸せだったと思います。
そういう経験を持った先生が管理職でいてくださるというのは心強い限りです。
しかし一方で、それじゃ、その何も知らない先生に教育される障害をもった子どもたちってどうなの?と思ってしまいます。
定型発達の子というのは、間口がひろくて、自ら学ぶちからが強いです。
少々先生の教え方が下手でも、下手なところを自分でおぎなって、先生の穴をうめながら学んでいきます。
しかし、障害を持つ子どもたちは、入れていく情報を精査し、入れ方を吟味してあげないと吸収できません。
特殊教育にこそ、真のスペシャリストが必要な理由です。
上記のような話は教員成長物語としては、感動的なのですが、あくまで昔話であって欲しいのです。現在の校長先生や教頭先生たちが新採だったころというのは、1970年代です。
しかし、21世紀となった現代でも、これが昔話でないところが怖いところです。
昭和28年に制定された、特例措置(特免がなくても、特別支援学校・学級で教えられる)ですが、
「当分の間」というのは、50年ということなんでしょうか。
それとも100年ということなんでしょうか。
膨大な事務作業がともない、かつ当初の目的(指導力不足教員の排除)は達成する機能のない、教員免許の更新制よりも、国はもっとやるべきことがあるんじゃないのかな、と強く強く思います。
閑話休題、ここで、都道府県別の特別支援学校における特免を持っている先生の割合が見れます。
↓
平成19年度公立特別支援学校における特別支援学校教諭等免許状の都道府県別保有状況
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/018/002.htm
これによると、保有率ナンバー1は、秋田県の92.6%です。(秋田県といえば、例の全国学力調査でもナンバー1でしたね。これは偶然の一致なのでしょうか。)
一番低い高知県の50.5%、その次の沖縄県50.7%と比べると大きな差があります。
このデータは特別支援学校での特免保有率なので、特別支援学級になると、さらに大きな差が自治体によってあるものの思われます。
秋田県でこんなに保有率が高いのは、どんな秘密があるのでしょう?ご存知の方いらっしゃったら教えてほしいです。


ただ、免許取得もそれほど難しくないですから、免許を持っているからといって知識・適性がしっかりあるとも限らないのが、さらに難しいところです。
いずれ、私のブログでこの件について触れてみたいと思います。
そのときはトラックバックさせていただきますので、よろしければお読みください。