私の就職活動日記〜K学院編その1〜
6年前、第1子の妊娠が分かったとき、同時にわかったことがあります。
それは、
「この国の女性は、子どもを産むとペナルティを課せられるのだ。」
ということです。
ペナルティ、というと言葉がきつすぎると思われる人もあるかもしれない。
しかし、私ははっきり「ペナルティ」といってよいと思うのです。
「ハンデ」という言葉では生易しすぎる現実が、
仕事を続けたいと望んでいる女性をとりまいています。
なぜなら、
「子どもができた!」
と分かったとき、「仕事どうしよう・・・」
と思う男性はいないでしょう。
無職だったり、非正規雇用だったりする場合には、こう思うかもしれませんが、少なくとも正社員で働いている男性が、妻が妊娠したために、自分の仕事が続けて行けるかどうかとか、首になるかも・・・といった心配をすることはないでしょう。
翻って、女性はといえば、正社員で働いていたとしても、妊娠の喜びとともに頭のどこかで「仕事、どうしよう・・・」という不安が1度はよぎるのではないでしょうか。
もう、そこから違うんです。
もちろん、子どもを産み育てるという、充実感とか、満足感、といった形にならない深いよろこびは、確かにあります。
しかし、
子どもを産むと、労働市場からやんわりと退場させられる、というペナルティが存在しているのが現実です。
私立の中・高のカウンセラーでした。
そこには、男性の専任のカウンセラーがいましたが、その方は教諭で、教科も教えていました。
私は週4日勤務の非常勤カウンセラーで、他の非常勤講師の先生と同じ取り扱いでした。
妊娠が分かったとき、私は当然、仕事はつづけるつもりだったので、その旨を教頭先生に伝えにいったところ、
「非常勤の先生には、産休も育休もありませんよ。」とあっさり言われました。
また、「これまでに非常勤の先生が子どもを産んでもどってきた例はない」とも。
教頭先生は、その学校の事実を伝えたまででしたが、あまりにも冷たい事実でした。
その学校では、非常勤の女性の先生は子どもが生まれればそのまま退職、というのが当たり前でした。
(ちなみに常勤の先生同時で結婚した場合、女性の先生が退職するというのが慣例になっていました。)
別にその学校が特別非道いというわけでもなく、
2003年当時、この国の非常勤の場合、そのような扱いになるのは、当たり前のことでした。
それは分かっていましたが、それでも面と向かって突きつけられると、ショックでした。
それからは、子どもが生まれるという楽しみな気持ちと、仕事が続けられないかもしれない、という不安な気持ちが交代で沸き起こるという、シーソーのような精神状態でした。
そのたびに、「なんとかなるなる!」と自分を励ましていました。
(つづく)



それは、
「この国の女性は、子どもを産むとペナルティを課せられるのだ。」
ということです。
ペナルティ、というと言葉がきつすぎると思われる人もあるかもしれない。
しかし、私ははっきり「ペナルティ」といってよいと思うのです。
「ハンデ」という言葉では生易しすぎる現実が、
仕事を続けたいと望んでいる女性をとりまいています。
なぜなら、
「子どもができた!」
と分かったとき、「仕事どうしよう・・・」
と思う男性はいないでしょう。
無職だったり、非正規雇用だったりする場合には、こう思うかもしれませんが、少なくとも正社員で働いている男性が、妻が妊娠したために、自分の仕事が続けて行けるかどうかとか、首になるかも・・・といった心配をすることはないでしょう。
翻って、女性はといえば、正社員で働いていたとしても、妊娠の喜びとともに頭のどこかで「仕事、どうしよう・・・」という不安が1度はよぎるのではないでしょうか。
もう、そこから違うんです。
もちろん、子どもを産み育てるという、充実感とか、満足感、といった形にならない深いよろこびは、確かにあります。
しかし、
子どもを産むと、労働市場からやんわりと退場させられる、というペナルティが存在しているのが現実です。
私立の中・高のカウンセラーでした。
そこには、男性の専任のカウンセラーがいましたが、その方は教諭で、教科も教えていました。
私は週4日勤務の非常勤カウンセラーで、他の非常勤講師の先生と同じ取り扱いでした。
妊娠が分かったとき、私は当然、仕事はつづけるつもりだったので、その旨を教頭先生に伝えにいったところ、
「非常勤の先生には、産休も育休もありませんよ。」とあっさり言われました。
また、「これまでに非常勤の先生が子どもを産んでもどってきた例はない」とも。
教頭先生は、その学校の事実を伝えたまででしたが、あまりにも冷たい事実でした。
その学校では、非常勤の女性の先生は子どもが生まれればそのまま退職、というのが当たり前でした。
(ちなみに常勤の先生同時で結婚した場合、女性の先生が退職するというのが慣例になっていました。)
別にその学校が特別非道いというわけでもなく、
2003年当時、この国の非常勤の場合、そのような扱いになるのは、当たり前のことでした。
それは分かっていましたが、それでも面と向かって突きつけられると、ショックでした。
それからは、子どもが生まれるという楽しみな気持ちと、仕事が続けられないかもしれない、という不安な気持ちが交代で沸き起こるという、シーソーのような精神状態でした。
そのたびに、「なんとかなるなる!」と自分を励ましていました。
(つづく)

